HappinessmitH

考えた事や感じたことは言葉にして残しとかないと忘れちゃうんですよね~

本質

 これガチな話なんだけど、煮ると茹でるの違いを分かっていません。

 

 就活では自己分析という作業をしばしば要求される。それが必要であることは筆者もそう思う。しかし、自己分析というのはちゃんとやればやるほど迷宮入りしやすいようにも思う。何故なら、マンガやアニメに登場するキャラクターのように単純な精神構造を持った成人など殆どいないだろうから。言葉で簡単に説明できるほど人は単純ではないだろう。というか、そんなに単純であってほしくない。私は○○だ、という形で簡潔に自己を他人に表明したところで、その断言に心から納得している自分など有り得るだろうか。もちろんできる場合もあるだろう。しかしそこに辿り着くには、長期にわたる慎重な省察を要するのではないだろうか。皮肉なことに、筆者がある程度納得のいく形で自己分析が捗るようになったなと感じ始めたのは膨大な時間を奪われる就活が終わってからだった。特に卒部後は、潤沢に時間を使える最後のチャンスを生かして存分に自分というものについて考えた。

 

 その過程で分かったのは、自分について理解が深まるととてもスッキリするということだ。ここで強調しておきたいのは、「分析の結果、仮に自分に問題があると分かったとしても、その結果に納得が行くのであればスッキリする」ということだ。そして実はこれは自分について考える場合だけではなくて、ごちゃついている問題に直面した時一般に言えることのようだ。要するに、筆者は問題の定式化が済んだ段階で満足する傾向にあるらしい。数学に例えると、一見よく分からない複雑な文章題を見て面食らった際、問題の意味を吟味して方程式を立てることに成功した時点で筆者は満足するのだ(数学では実際そうだ)。xを含む方程式が立ちさえすれば、回答するべきxの値は機械的に計算すれば出る。逆に方程式が立たない状態だと、もうどうしようもない。その間は不安だ。その不安状態を脱するには立式するしかない。そして立式するには問題に正面から向き合い、構造の本質を捉える必要がある。すなわち、自分がよく分かっていない問題に直面した時、(筆者にとって)不安を脱するには本質を見極めることが不可欠なのだ。

 

 筆者が本質という言葉をよく連呼するのにはおそらく上の様な背景があるのだと思う。本質を把握せずたまたま回答を導けたとしてもそこに再現性はないが、ひとたび構造を把握できさえすれば、たとえ問題文中の値が別の値になったとしても解を導ける。その意味で、本質の把握は長い人生を生きる上でたいへん重要になってくる筈だ。そしてこれこそが「抽象化して物事を考える能力」である。これは教育における数学の目的の一つだった気がするが、これには心から同意する。

 

 さて、現実に起こる不透明な状況を整理して把握する(=定式化)場合に役に立つと思われる思考法として学校の教科が提供する二大概念があると、筆者は思っている。その二大概念とは、「階層化」と「場合分け」である。前者はおそらく直接学ぶことは多くないだろうが、分かりやすい例としてノートを取る時を挙げられる。整然としたノートを取るには、第一章の第一節の第一何々、というように、項目を階層化することが重要だと思う。ノートを取るとき以外にも、様々な教科で無意識的に使う場面は多かった筈だ。場合分けは数Aの場合の数などでよく出てくる。特に確率の問題では、漏れなくダブりなく場合を数え分けることが必要になる。筆者は就活時にこれを「MECE」と呼ぶということを知ったが、これは物事を論理的に考える上でかなり有益であるようにも思う。しかし経験上、社会科の科目を学ぶ際に厳密にMECEで切り分けるとあまりに複雑になり却って分かりづらくなるということが多かったため、ほどほどの塩梅が大切だと思う。

 

 ちなみに筆者は当時好きだった子にどうラインするべきか全くわからずに途方に暮れていた時、考えられる全ての状態を場合分けした結果12個くらいの場合が出てきて、しかも結局今がどの状態なのか分からず何も解決しなかったということがある。こういう時は一か八かで出るしかないということだ。

 

 今回の曲です。MVのイメージだいぶ違うな

Avril Lavigne - Hot (Official Music Video) - YouTube