HappinessmitH

考えた事や感じたことは言葉にして残しとかないと忘れちゃうんですよね~

消費・投資

 遂に定期券が切れたので、北千住でカラオケするためだけにつくばエクスプレス2駅分を往復した。

 はっきり言ってそのままお化け屋敷にできそうなくらい古い、いやもはや壊れていると言った方がふさわしいような様相の家々。入ればぞんざいな扱いを受けるだろうという先入観を抱いてしまう、暗い飲食店。五反野駅周辺の広いとは言えない道路は、路駐している車や両手を妙に広げ幅を取りながらゆっくり歩く壮年男性、徐行する車やそれよりも速い速度で進む自転車でごった返し、ただ歩行するにもかなり神経を使う。同じ区でも、自宅から少し離れれば自分はstranger。その寂しい自意識を持て余しながらも歩き続けると、ほどなくして視界がぱっと開け、去来する轟音と共に灰色の横線が上下に飛び込んでくる。都道308号線と、その上を通る首都高速中央環状線。少し右に歩き、滅多に使うことのない歩行者用押しボタンを押して信号が変わるのを待つ。ボタンを押さなければ変わることの無かった信号の色が青に変わり、自分一人の為だけに止まらせた車の列を左右に見ながら十戒のごとく横断歩道を渡ってゆく。対岸に渡り切り、アスファルトの階段を足早に登る。登り切ると、無限の広さと奥行きを持った青空、その下を悠々と流れていく荒川、それらの青に負けじと一面に広がる緑の土手と川岸が出迎えてくれる。それまでの寂寥感が嘘のようだ。舗装されたのどかな道をそのまま右に歩き出す。左手に絶景を見ながら少し進み、左折して千住新橋を渡っていく。その間、荒川は自慢げに脇腹を見せつけてくるのだが、素直に感嘆することしかできない。橋を渡り終え、左折して先程いた場所の対岸の土手の道を少し歩き、下りていく。五反野駅側の世界とは微妙に雰囲気の異なる町へするすると滑り込み、マルイの裏からロータリーに入ればそこはもう北千住。めちゃくちゃな動線で歩く人込みに安心感を覚える。寂しさはもう無い。

 

 時々一人で自宅周辺を歩くが、必ずおセンチな気分になってしまう。そして自然と考え事をしてしまう。今回はそこで考えていた事の話。まずは下の図を見てほしい。

 

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たぶん、かなり多くの先人が既に考えたことのある行為の4分類

 これは、自分の予定を組むうえで分かりやすいフレームワークになりそうだと思った行為の4分類である。集団・個人というのはそのままの意味で、自分を含む複数人でやるのか、自分一人でやるのかということである。投資というのは、その行為により何かしら得るものがあり、今後の人生にプラスに作用する(と考えられる)行為。消費というのは、そこで得られる何かしらの快楽のみを目的に行う行為で、その後の人生に直接影響することはない。「措定」の記事でも消費・投資に触れ、そこではもう一つ「無駄」という概念を紹介したが、それは消極的自由にしかつながらない。今回、消費・投資の2つだけを扱っているのは、積極的自由を念頭に置いているからだ。次に、それぞれの領域について簡単に見ていこう。

①集団×投資

 例えば、部活やインターンなど。友達とスキーに行くことも、上達を目指すという側面においてはこの類型。

②集団×消費

 例えば、友達とのカラオケ(もちろん、本気で歌唱技術の向上を目指すのであれば①になる。ただ、消費と投資は本来厳密に区分できるものではなく、状況次第で変わり得る)。友達と過ごす場合は、何かを意識しなければ大抵この類型になる。

③個人×消費

 ゲームや漫画など様々。あまり説明の必要はないだろう。

④個人×投資

 最たる例が勉強。一人でスポーツの練習をすることもこの類型。他にも様々あるが、これも直感的に分かると思う。

 

 この4つのバランスを自分の中で考慮しつつ生きるのが得策であると筆者は思う。そして、その最適な配分というのは個人差があるはずだ。ここで、暴論であることを重々承知の上で敢えてラベリングをすれば、その最適配分が①にかなり偏っている人が「意識高い(系)」、②なら「陽キャパリピ」、③なら「陰キャ・ぼっち」、④なら「努力家」ということになるだろう(こういった「押し付けがましい命名」は好きではないが、イメージしやすさのため敢えてやってみた)。まあ、そこまで偏っている人というのは実際そんなに多くはなくて、大体の人は4つともある程度重視するんじゃないかと思う。また、仮に上の定義で行くならば、その人の属性というのは最適配分によって決まるだけの話であって、そこに優劣はないということになる(それにしても陽キャ陰キャというのは本当にひどい呼び分けだと思う)。

 筆者が今一番憂慮しているのが、②の代表例である「大勢の飲み会」に自分が求める頻度以上に参加することを要求されたらいやだなあということ。「自分の中のバランス的にとりあえず今は②の気分ではなく、同じだけの時間を③や④に回したい」という時に飲み会への欠席の意思表明をすると、「?」という反応をされることがある。「なんで?」と訊かれるとこちらとしても非常に困る。ここまでの話を伝えられれば向こうも納得してくれるだろうが、こんな話を長々とするわけにはいかない。「嘘も方便」というのはまさにこのような時の事を言うのだろう。ただ筆者は割と用事を偽って断ることに抵抗があるので、結構詰んでいる。まあでもそうは言ってられないのでこれから嘘をつきまくると思う(飲み会ではないが、このあたりの事情により参加を見送っているとある団体がある。分かる人には分かると思う)。世間一般にこういう事に対する理解がもっと広まればいいのにと本気で思う。

 

 最後に、筆者が思う4類型相互のなんとなくの関係に触れて終わろうと思う(多分に主観が入っている)。基本的に、人生の根幹をなすのが④と考えてよいだろう。ここでのスキルアップにより、他の3類型に多かれ少なかれ良い影響がある。個人的な経験のうち分かりやすいもので言うと、バンド練や部活はまさにこの流れの繰り返し。また、人間として最も崇高な価値が宿っているのは①だが、一方でこれを意味のあるレベルで行うことは容易ではない。反対に最も身近なのが③だが、これに偏りすぎてバランスが崩壊した経験は誰しもあると思う。そして、基本的に③よりも④の方が崇高さで言えば上位の行為だ。難しいのは②と④。この組み合わせに関しては甲乙つけがたいが、ここは結構個人差があるし、同じ人でも状況によりけりだろう。この見極めは難しいが、割と重要だ。

 

 今回は初めてのジャズです。しっとり感が良い一曲です。どうぞ。

Bill Evans - Waltz For Debby - YouTube