HappinessmitH

考えた事や感じたことは言葉にして残しとかないと忘れちゃうんですよね~

痛み

 部室返還が叶ったようで本当に何よりです。柔道場から若干遠のいてしまったけど・・・。

 

 小学生の頃から、自分に子どもができたらどんな名前にしようかとしばしば妄想していた。男の子であれば、個人的には普通に漢字で、読み方は奇を衒ったものではないものにしたいと一貫して思っている。使う漢字は意味ベースで悩みに悩んで選び、名前として最も違和感のない読み方に決めたい。女の子であれば平仮名が混じっていても別に構わないかなと思っている。もう10年ほど話していないし通っている大学も忘れてしまったほどだが、同じマンションに住んでいた幼馴染も名前に平仮名が入っていた。平仮名の利点としては、学生の間、開始の合図が鳴ってから名前を記入するタイプの試験で1秒くらい問題を解く時間が長くなることだろう。2年ほど前にミスドできな粉が含まれているドーナツを食べている時に「きな子」って響きがかわいいなと思いついた。音ベースで考えるのは悪くない。漢字を当てるとすれば「綺/紀/季/希/+菜/奈/和+子」のうちどれかかな。希奈子ちゃん。季和子ちゃん。うーん、迷う。忌茄子はないということは確かだ。ていうかこれじゃ初見で100%「きなす」って読まれるでしょ。なんて、結婚もしていないのに何を考えているんだろう。それに、奥さんの意向を何も考慮していない。

 

 名前を考える時に少し気になるのが、マイナス的なものをマイナスする二重否定的な名前ってあまり見ないというかたぶん役所で受理され辛いのかなっていう点。例えば、「破邪」くんというのは聞いたことがない。たぶんこの名前を付けようと思ったら対偶をとって「顕正」くんとするしかない。名前が漢字二文字なら、プラス(またはニュートラル)とプラスの組合せが殆どなのではないだろうか。おそらく、あからさまなマイナスが入っていたらたとえ二重否定的な名前でも咎められるだろう。

 

 筆者は名前をつけるにあたり、大体の人と同様に、その子にどうなってほしいかという思いを込めたいと思っている。しかし、基本的に子どもに自分の価値観を押し付けるつもりはない。最低限の道徳倫理、社会性が身に付くのであれば後は自分の幸せを目指して自由に生きてほしいと思っている。ただ、たとえば「不殺」くんと名前を付けるのはあまりにも当たり前すぎて、大事な名前枠をわざわざそれに費やす必要がない。現代日本で子供に人を殺してほしいと思う親などいないだろう(ちゃんとした軍隊がある国だったり日本でも戦国時代とかだったら「敵を倒す」みたいな意味で名づけられることってあるのかなあ。すっごい偏見だけど中世イスラムとかなら有り得そう)。込めたい思いとして差別化できない。さすがにもう少し、個人的な思いを投影するべきだ。また、これは典型的なマイナス×マイナスだ。殺の字が入っている時点で役所的にアウトだろう(「悪魔」ちゃんと名付けようとした親が止められたという話は有名だ。殺の字は、たとえそれを打ち消す意味の名前だとしても無理だろう。まあ悪魔の場合はマイナスにマイナスを足しているという点で不殺とは大きく異なるが)。

 

 それを踏まえて、じゃあ、どんな漢字を入れたいか(以下、男の子を想定する)。うーん。先述の通り、なるべく自由な生き様を謳歌してほしいから、やはり普遍的な美徳に関するものがいい。信、真、紳、仁、義、玄、徳、聖、誠、実、伯、忠、公、孔、明、悟、理・・・キリがない。ちなみに筆者は三国志が好きなので結構影響されていると思う(だから、実は音読みを重ねて字(あざな)っぽくしたいという野心がある。まあこれも未来の奥さんとの協議が必要だが。というか果たして筆者は結婚できるのだろうか)。それにしても、どの漢字も良いなあ。寿限無みたいに、全て名前に入れたいくらいだ。選べない。

 

 おっと待て待て。今、名前をつけるとしたらという前提で考えてしまっていて、実際名前によく入っている漢字ばかり頭に浮かべてしまったが、名づけるという前提を忘れて考えた時、筆者が本当に子どもになってほしい姿って何だ。一つ選ぶとしたら、何だ。子の生き方を決めたくないという自分でも、これだけは譲りたくないという道は何だ。

 

 と考えた時に思うのはやはり「痛みの分かる人間」になってほしいという事だった。筆者が人間を見る時にいちばん大事にしている評価軸でもあるかも知れない。これは自分で何となく思っているだけかも知れないので公言するのは怖いが、筆者は他者の痛みを気にする方だと思う。もちろん、気付かずに誰かを傷つけていることも多々あるだろうし、何より、気付いていながら自分のために他者の痛みを意図的に無視してしまうこともよくある。この時は凄く自分が嫌になるが、正直自分が生きていくうえで誰も1mmも傷つけないというのは無理だと割り切ってしまうしかない。そうやって「鈍感なフリ」をして生きていくのだろう、これからも。悲しいが自分は超人ではないので致し方ない。周りの人全員を救いながら生きていたら、自分が生きていけない。ある程度は自分でどうにかしてもらうしかない。それはもう、お互い様だ。

 

 そう割り切ったとてなお、痛みに鈍感な人を心から羨むことは、筆者にはどうしてもできない。絶対、鈍感な方が楽だろうし、鈍感か敏感かということに優劣はない。よほど鈍感でない限りは、それもまた個性の範疇だと思う。でも。自分の子にだけは敏感でいてほしい、なぜかは分からないが。もし子供が鈍感だったら自分は彼を愛せないと予見しているからかも知れない。全ての痛みに対処できなくてもいい(無理だ)。だからせめて、感じることくらいはできる人間になってほしい。そしてその明暗はなんとなく幼少期に決まる気がしている。この時期にどれだけ劣等感、絶望、敗北、理不尽、義憤、悔しさを味わえるか。弱者の痛みは、早いうちにインプットしておかないと将来その感受性が麻痺してしまうだろう。これさえ満たされれば筆者はそれ以上のことは自分の子にあまり望まないだろう。じゃあ名前は・・・「痛解(つうと)」・・・うーん、やはり二重否定系は厳しぃ!前衛的すぎるか・・・!「慈」っていうプラスの一文字で代用するほかないかもな。もう一字は奥さんが選んでくれたら最高だな。

 

 本日の曲はこちら。いやあこれ初めて聞いた時ほんとに鳥肌立ちましたよ。出だしから嘘みたいにかっこいいし、リフが最強すぎて永遠にループしてほしいレベル。それから、こんな叫びは本当に痛みを分かる人にしかできない。彼が世界中で愛されてるのはそういう部分も大きいんだろうな。それではどうぞ、

Bon Jovi - Hey God (Long Version) - YouTube