HappinessmitH

考えた事や感じたことは言葉にして残しとかないと忘れちゃうんですよね~

ギリギリの年納め

 Aerosmithというアメリカの超ご長寿バンドをご存知だろうか。由来は、「aero=空気の」「smith=職人」さしずめ音作り集団といったところか(さしずめた結果、なんだかダサくなってしまって申し訳ない)。ちなみに-smithという形でこれが接尾語として用いられている代表的な単語としてはblacksmith(鍛冶屋)がある。このブログのタイトルはこれに着想を得ました。自分にとっても読んだ人にとっても、幸せを作れればな...というピュアな由来です。

 

 年納めということで、改めて卒部というビッグイベントにしっかり向き合い、言語化して自分の中に位置付けたいと思う。それをしないまま2019年を迎えてしまうことが、何故だか微妙に嫌なのだ。というわけで、今回は明快なロジックを構築し、何か綺麗な結論に至る類の話ではない。個人的には卒部とセットで考える必要があると思ってる二段審査に焦点を当てようと思う。

 

躰道関係者は以下2段落は読み飛ばしてください)

 

 筆者は2週間前まで大学で「躰道(たいどう)」という部活をしていた。級位・段位という概念があり、無級→6級→...→1級→初段→二段→...→八段という流れになっている。ここでこのグレードを上げるには審査なるものをパスしなければならないが、級位の間に限っては「90点以上で2級、80点以上で1級上がれる」という「飛び級ルール」がある(初段になるための審査以降は80点以上で1つランクアップできるというルールだけになる)。したがって、順調に飛び級を重ねれば、無級→5級→3級→1級→初段...となる(部活内で暗黙の了解として嫌が応でも到達しなければならないのは初段までで、二段になるための審査を受けるか否かは任意。三段以降はルール上、おそらくどんなに速くグレードアップしていっても現役部員のうちに到達することは不可能だと思う。たぶん)。一方筆者の遍歴はこうだ。無級→6級→4級→3級→1級→初段→二段。そう、飛び級に2回失敗している。

 

 話は変わるが、躰道において技は必ず「旋」「運」「変」「捻」「転」という5つの属性のようなもののどれかに分類される。そして、そのそれぞれの属性にフィーチャーした「型」のようなものが、それぞれ男性用と女性用の2つずつある。だから、主な型は10種類ある。

 

 そして、無級から初段を目指して審査を受ける中で、どのような過程を踏んでも旋・運・変・捻の四種類の型を披露して審査してもらうことになる。転の型を審査で通すのは、二段になるための審査と三段になるための審査だけだ。強制的な到達目標は初段までなので、希望しなければ転の型を審査で見てもらう機会は、ない。

 

 上で書いたが、自分は初段になるまでに2回飛び級をミスっていた。審査で辛酸を舐めたわけだ(つまんねー)。同期の大半に遅れて黒帯を取った時、周りには「二度と審査なんて受けねえ(笑)」って言いふらしていたような気がする。でも、筆者は卒部間近の時期に、誰に言われるわけでもなく自分の意志で二段になるための審査を受けることを希望し、僅かに残された時間を、ダメもとで、でも最高に楽しく努力した。そしてなんとか、二段になることができた。

 

 何故だろう。

 

 ともったいぶって書いたが、実は、その一番の理由は実にシンプルで味気ないものだった。旋・運・変・捻の各型を審査で披露したのに、転だけ披露(というか、公開処刑という表現の方が正しいのだが)しないのが、なんとなく気持ち悪かったのだ。自分でも引く。もちろん、「(少なくとも昇級のスピードにおいては)上手く行かなかった自分という四年生でも、最後まで頑張れば一歩先へ行ける」という事実を残すことで、同じような境遇の後輩の心に少しでも希望を与えたかった(そんな逆境でも誰も何一つ気にしていなければこれに勝る安心は無いが、もしどこかで気後れしている人がいれば、という前提のもとだ)とか、自分でも想像していなかったところに行ってみたかったとか、そういう真っ当な理由ももちろんある。でも、理由の強さの6割方は上述の「なんとなくの気持ち悪さ、もやもや」だった。

 

 自分の持っている「それによって少し生きづらくなる性格」の一つに、謎の完璧主義というものがある。コレクト主義と言っても良いかもしれない。すなわち、「並列関係にあるものはなるべく同じ状態にしておきたい」という癖だ。例を挙げよう。

  • ジェームズ・ボンドでお馴染み007について知っておきたかったので、第一作~第二十四作(現状の最新作)を全て鑑賞
  • 2016年に死去したデヴィッド・ボウイの作品に触れておくだけでもしたかったので、彼のスタジオアルバムを第一作~第二十八作(遺作『★』)まで全て鑑賞
  • イヤホンのイヤーピースのうち片方をなくした時、そちら側を在庫のある別のサイズので代用するが、もう片方とは異なるサイズになるのですごい嫌
  • 躰道の技のうち多くは左右どちらの足/手からも繰り出せるが、得意足だけ愛用するのがなんか気持ち悪かったので得意でない方の足にも余裕があれば積極的に出していた

といったところか(なんか、一種の強迫性障害なのではないかと思えてきた)。で、旋から捻までは審査でやったのに転だけやらないのが気持ち悪かったと、根源的にはこれなのだ。だから、そういう意味では、結果の如何に拘わらず、審査で転をやったという事実が出来た時点で、満足はしている。全く奇特な精神だと思う。

 

 それはそれとして、自分から希望して受ける審査は想像以上に楽しかった。自分にとって、強制されない審査は最初で最後だった。こういう条件で自発的に頑張るというのは、本当に物凄く楽しかった。貴重な体験だった。思えば、今まで自分が何かを頑張るとき、その背後には常に何かしらの「義務感」があった気がする。受験も就活も、もっと小さなことも全部。もちろん初段までの審査もだ。ところが、この義務感、すなわち「後ろから押し出す」存在(=プレッシャー)が無く、純粋に、見てみたい未来からの(前からの)手招きに導かれるようにして行う努力は、あまりにも楽しい。自分はとうにこの部から学ぶことは学びつくした、などと思っていたが、この部は最後にこの事実を自分に教えてくれた。

 

 努力は、結果とは関係がなく本質的に楽しい。

 

 来年4月には社会人になるけど、死ぬまでこれを忘れずに、楽しみながら頑張っていきたい。   なんて書けば、少しは綺麗にまとまるかな(笑)

 

 さて今回の曲は、タイトルからして今回のテーマにぴったりの曲です。むっちゃ久しぶりに聞いたけど、昔超絶リピートしてたなあ。プレイリスト入れよ。

 

努努 ゆめゆめ - ONE OK ROCK - YouTube

  

 それでは、良いお年を!