HappinessmitH

考えた事や感じたことは言葉にして残しとかないと忘れちゃうんですよね~

世界の切り分け方

 社会人生活20日目。意識としては勿論社会人にしているつもりだが、研修の内容を考えれば未だスーツを纏った学生といった感が拭えず、社会人と名乗ることに非常におこがましさを感じる。

 

 世界の切り取り方って大事だなと、最近特に思う。世界の切り分け方というのは、ソシュールの言う「分節」の概念と同じものだと思う(ただし筆者はソシュールについて一切勉強したことがないので今のは凄くてきとうである。だからたぶん間違っている。そもそも筆者がまともに読んだことのある哲学者の有名な著書は「方法序説」と「悲しき熱帯」だけである。そして後者は世に出回っている二つの邦訳のうち最悪との呼び声の高い方を読んでしまい、全く意味が分からなかった)。筆者は「使用言語ごとに物事の捉え方、分け方が変わってくる。それは思考の方法そのものに甚大な影響を与える」というような内容を学んだ時、いたく感銘を受けた。本当にその通りだと思った。どこか雪国の民族の言葉では「雪」を表す単語が30以上あるという話や、虹は何色から成るかといった認識は国ごとに違うというのは、こうした話の分かりやすい例だろう。「もったいない」の英訳が難しいと言われるのはおそらく英単語でそれにドンピシャに対応する単語が無いからであって、それも世界の切り分け方が違うことに起因するのだと思われる。

 

 ただ、住んでいる文化・属している語族が同じでも、すなわち同じ日本人の間であっても、世界の切り取り方は個々人によって異なる。

 

 自分を例に挙げさせてもらうと、筆者は(最近だんだん分かるようになってきたが)塩・味噌・醤油ラーメンの違いが分からなかった。いや、頭ではもちろん差を理解しているのだが、実生活上の感覚としてそれらを敢えて区別する必要性を感じなかったため「ラーメン」で一括りにして生きてきた。普通の人は区別するのだろう。おそらく筆者は、この切り分け方をしていたがために味覚もあまりそれらの差異に気を払わなかったのだと思われる。

 

 今のは分かりやすい例だが、この切り分け方の違いというのは、あらゆる事象に関して、十人十色で存在するように思う。どこからどこまでを同じと認識し、どこからを「別物」として認識するのか。最近よく感じるのは、グループワークを行う際にグループ内でこの認識に齟齬が生じるということが、グループワークでの最大の難関であるということだ。「たぶん違う切り分け方をした方が正確なアウトプットを出せるな」と感じることがあっても、それを言い出せない。何故違う切り分け方をした方が上手く行きそうなのかということを、時間内に説明できる気がしないからだ。そこで時間を食って残り時間が短くなるよりは、最善とは言えない切り分け方をしてそこそこの成果を確実に残した方が良い・・・と考える。

 

 就活中にちらっと読んだ「東大生が書いた 問題を解く力を鍛えるケース問題ノート」という本では、汎用的な思考のフレームワークが数多く紹介されていた。曰く、思考する際に正しいフレームワーク(「切り分け方」または「構造」と言っても良いだろう)を用いることが大切であると。筆者はこれについて大変感銘を受けた。なるほど、適切でないフレームワークを用いて考えた時と、適切なフレームワークを用いて考えた時とでは、しっくりくる具合が全然違うのだ。やはり、どの観点から世界を切り分けるのかという問題は、何かを考える時にとても重要だ。ちなみにこの本はとてもオススメ。

 

 自分を取りまく環境をなるべく適切に切り分けて考えていくこと。これはとても難しが、かなり面白い作業でもある。実体験に基づいてああでもないこうでもないと試行(思考)錯誤を繰り返して、より明瞭に世界を捉えていきたい。

 

 今回は最近はまっている少女時代(今更過ぎて草)の曲にしようかと思ったんですが

なんかMVがあんまり好きじゃないのでやめました。というわけで全然関係ないシューゲイザーの曲にします。耽美的で暗い穴にどこまでも強く落ちていく感じが好き。

 

LUSH - NOTHING NATURAL – смотреть видео онлайн в Моем Мире | Alvitina C