HappinessmitH

考えた事や感じたことは言葉にして残しとかないと忘れちゃうんですよね~

台風ってもう過ぎたん?

 最後にこのブログを書いてから、ほぼ半年が経とうとしていることに気づいて驚いている。しかも、別に今回は何か整理したい事柄がはっきりあるわけでもない。なんとなく最近書きたいなと思っていたから書くだけ。

 

 ほとんど家の外で何もできない日、しかも3連休の最初の1日ということで、午後はギターを弾いたり掃除機をかけたり、海外ドラマを3回分見たりした。簿記の勉強はとうとうやらずじまいで1日が終わろうとしている。ま、部屋も少し整理できたので、明日からは集中して勉強できるだろう。関係ないけど、特に外で何かするつもりもない土曜日って、気ままな時間に料理して食べられるのがなんだか素敵だね。平日はしっかりした飯を食う時間が12~13時でほぼ固定されてるから、新鮮(社会人ってのは、良くも悪くも規則正しすぎる)。

 

 で、その海外ドラマなんだけど。見てたのはシーズン3の最後の方のストーリーで、いよいよ本格的に面白くなってきたところだった。そしてなんでか、いたく感動して少し泣いてしまった。どういうシーンかというと、俺の1,2個くらい上の女の子が敵に洗脳されている間に大切な味方を何人も傷付けてしまった後(なんか振動?を出せる。かなり強い)、洗脳が溶けて味方の施設で隔離されているシーン。その部屋には本来であれば誰も入ってはいけないのだが、大柄で頼りになって優しい、その女の子の兄貴分的(彼氏ではない。彼氏は別にいる)なナイスガイが入っていく。ちなみにそのナイスガイは、その子が洗脳されている時に味方の静止を振り切り、まだ本来の彼女がいると信じてその子を取り戻そうとしていた。でもその時その子は完全に変わっていて、結局そのナイスガイを結構コテンパンにぶちのめしてしまう。

 部屋ですさまじい自己嫌悪に陥る女の子。男は「あの時のことは許す」と言う。動揺する女。正面から優しく歩み寄る男。「(洗脳が溶けたとはいえ)自分は危ないし、許されるざることをした」ということで拒絶する女(生理的にきもいとかそういう文脈ではなく)。それでも抱きしめようとする男。抵抗し遠ざけようとする女。二人の距離が少しだけあく。男がもう一度腕を伸ばすと、女が一転、飛び込む。「こんな資格ない」と泣きじゃくりながらも。

 

 いや~~~、こういうシーンだめだ。弱い。中学生の時、何の話だったか全然覚えてないけど、何度か親と本気でけんかをした。今でもはっきり覚えているのは、そのどれもが反抗期ゆえのものではなかったということだ。そういうけんかをするたびに、親に「反抗期」と片付けられた。俺も、もし自分が反抗期ゆえの幼稚で筋の通っていないことを言っている可能性はあるから冷静に検討しようと毎回思っていたが、やはり何度考えても自分が言っていることは感情的な要求ではなく、理論的に筋が通っていた。「これは反抗期の産物ではない」と心に記憶しておこうと強く思ったので、今でもそうだったということだけは覚えている。まあそういうことが幾度かあって、そこで精神的に自分と親の間に壊す予定のないベルリンの壁を築いてしまった。中学生っていう一番もろい時期に子供の言っていることを「反抗期」で片づけてしまう親、どれだけ論理的にこちらの主張を繰り返しても理解を示してくれない親ってどうなんだと。そしてけんかのたび、伝わらないことが悔しくてたまらなくて泣きじゃくり、最悪な気分で部屋に閉じこもり、最悪な気分で寝て翌数日は全ての会話を無視した。そこでまた反抗期と言われた。何も分かっていない。怒りで血管が切れそうだったが抑えた。

 

 あの時俺は、「悪かった。すまなかった。」と素直に言って抱きしめて欲しかったんだと思う。俺は拒絶するだろうけど、それでも抱きしめてくれたら、俺もいつか折れて感情が清算されたような気がする。

 

 結局、物心ついて以来、そういう熱い抱擁みたいなのを親としないまま大人になってしまった。葛藤を超えた先のこういう「赦しの抱擁」があるかどうかでその後の親との関係性は変わってくるんじゃないかという気がする。だからそういうのに対する憧れみたいなものがある、というか、非常に尊いと感じてしまうのかも知れない。

 

 それはさておき、あの時感じた人生最大級の悔しさみたいなものが、しばらく自分の原動力になっていたように思う。親への経済的な恩義を極小にしたいと思ったので、絶対に国立大学に受かろうと思った。浪人すると金がかかるので、現役で合格する必要もあり頑張った。

 

 最近はそういった悔しさを感じる機会がかなり減った。いや、正確に言えば他人に対して感じることが減った。すごく性格は悪いが能力があり自分のことを馬鹿にしてくるような同期や上司がいれば、超えてやろうとも思うのだろうが、あいにくみんないい人たちなので難しい(子供の時はそういう相手に事欠かなかった)。だから、もう悔しさの矛先として残されているのは自分しかない。理想と現実のギャップに悔しさを感じるしかないのだが、あんまりそれに縛られると、息苦しくて仕方ないだろう。かといって何の目標もなくフラフラ生きるのだけは性に合っていない。この辺の塩梅は、個人的に案外難しい。

 

 このカバー素敵すぎて今日ループしてます。よかったら聞いてください。

https://www.youtube.com/watch?v=GMtdqkWnTOk